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14件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2005-02-23 第162回国会 衆議院 経済産業委員会 第2号

また、第二点目でございますけれども、本件融資に当たりましては、政府資金協力計画のもと、アジア開発銀行の協調融資ということもございまして、中国上海地区エネルギー需給緩和、それから環境改善効果が高い案件として、融資対象としたものであります。(渡辺(周)委員「ほかの省庁とは打ち合わせしなかったんですね。

野崎茂

1986-05-09 第104回国会 衆議院 外務委員会 第12号

そしてその後、実は上海にも同様な大型計画がございましたが、これは若干手直しをして、少し規模を下げて、かつできるだけ自力更生方向をもたらす、そういう形で上海地区電力需要を賄うということでございますので、全体の流れとしては、進み方に若干の微調整はございますけれども、原子力発電をやっていくという方向は動きませんし、今動いておりますのは、外国に丸々依存するか、かなり自分の力でやることに力点を置くかという

松田慶文

1986-05-09 第104回国会 衆議院 外務委員会 第12号

当初は、かなりの分野を外国からの輸入に依存するという方針でございましたけれども、諸般の事情から、自主開発中心とし、外国依存を従とするような重点の移動が最近ございまして、広東におきます九十万キロ二基という大型計画外国輸入に依存する、しかしながら、上海の南、秦山の上海地区発電計画については、可能な限り自主開発中心としてそれに輸入を加えていく、このような形で進むということが当面の目標であると聞いております

松田慶文

1973-06-13 第71回国会 衆議院 逓信委員会 第21号

それで舟山列島は御承知のように非常に多島でございまして、ここを北に回って入るか、それとも南に回って上海地区あるいは杭州地区に入るかというのはよほど研究しなければならない。もしこのままでしたならば、上海地区へ揚げるならば必ず黄土層によってぐんぐん流されて、今度補修をするとか中を調べる場合に非常に困難な事態が起こります。

土橋一吉

1954-10-04 第19回国会 参議院 厚生委員会 閉会後第5号

高野一夫君 石和さんにお尋ねしますが、上海地区のほうで一般邦人生活状況、例えば終戦後、一般邦人が適当な仕事にありつけたかどうか、生活して行けるような収入がある程度取れるような状態にあつたかどうかということの一点と、それから一般邦人に対して、中共側政治教育みたいなものが、やはり抑留者同様に、何らかの形で行われておつたかどうか、この二点についてお聞かせ願いたい。

高野一夫

1954-10-04 第19回国会 参議院 厚生委員会 閉会後第5号

参考人石和清子君) 一の抑留前及び抑留後の状況につきましては、これは上海地区ですと、個別的になりまして複雑いたしますから、二の残留邦人状況概数の中でお話上いたします。残留邦人状況、イ、概数、現在上海地区に残つておりますのは大体百名、中日結婚者をあわせて百八名くらいじやないかと思います。

石和清子

1954-03-06 第19回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第4号

しかしながら、中支那と申しますか、中国の中部、上海地区等におきます儲備券あるいは北中国、北京における聯銀券等は、そのような形で裁定いたしますと、ほとんどゼロに近いような数字しか出て参らないのであります。これは実際問題として常識に反することでありますので、問題は、その極端と、送金為替を組んだときの考え方との中間になければならないと考えられるわけであります。

上田克郎

1953-08-07 第16回国会 参議院 中共地域からの帰還者援護に関する特別委員会 第7号

第五次も帰還者の数は先方で申して参つておりまするのが天津地区が千二百、上海地区が二千、合せて三千二百という数字を示して参つております。従いましてこれが帰つて参りますれば約二万三千近くの数が帰つて来ることになろうかと思います。先方で申しておりまする数字から比べましてもまだあと七千あるわけでございます。やはり五次以降、つまり六次以降の引揚というものはあるものと考えてもよかろうかと考えております。

木村忠二郎

1951-11-01 第12回国会 衆議院 大蔵委員会海外同胞引揚に関する特別委員会連合審査会 第1号

従つて上海地区の場合には、大体二月、三月、四月ごろだけに借りまして、そう多額なものにはなりませんでした。先ほどの話にありました大口、小口の問題でありますが、これは当時から、書類は一持ち帰つてはならぬという厳達が来ておりましたので、私はこの事務は扱いませんでした、当時の官房長が扱つておりましたが、相手には紙のビラに番号を附しまして金額と名前を書いたものを渡したと思います。

岡崎嘉平太

1951-03-24 第10回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第8号

それで私ここに持つておりますところの上海地区において発行せられておりました大陸新聞の、二十年八月十七日の新聞の原本を、ここに提出させていただきたいと存じます。この新聞の中に、引揚げには三万円、送金等持帰り金家族送金は六箇月分一括という見出しのもとに、在外公館上海事務所においてこれを新聞発表をなさつておらるる原拠について私は申し上げたいと存ずるのでございます。

中北繁

1950-10-19 第8回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第9号

上海地区は、あるいは新聞公告を出して異存がなかつたならば初めて許可が出る。地区によりましていろいろ許可が違つておるようでございます。中支地区北支地区と違つておるようでございますが、いずれにいたしましても、個人引揚げでは相当苦労しながらその手続あるいは金の相談等をなされておるようであります。

草葉隆圓

1950-02-13 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第11号

(「賛成」と呼ぶ者あり)  先ず委員長から、土田証人にお伺いいたしますが、先程の御証言によりまして、一般の借入金については、その詳細な調令が十二月末に内地から到着して、二月初めからその借入を行なつたと、こういう御証言でございましたが、然らば上海地区におきましては、その前においては救済に当てる資金とか、そういうものの調達の必要は全くなかつたのか。

天田勝正

1950-02-13 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第11号

証人土田豊君) 書いた命令がございますのでありますが、丁度只今記憶を全部いたしておりませんが、趣旨は先程同崎証人から申上げましたように、降伏全般日本側上海地区代表者登部隊長であつたのであります。陸軍であります。居留民につきましても、一応中国といたしましては、松井中将に全責任を負わしたわけであります。

土田豊

1950-02-13 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第11号

上海地区におきましては、先程申上げました中国側から、これは書面でよこしましたか、或いはさつき申しました管理処口頭命令であつたか、ちよつと記憶いたしませんが、とにかく全部日本人は帰るのでということを、数次口頭で聞いた記憶があります。時いたものもあつたと思いますのでございますが、はつきり記憶しておりません。

土田豊

1950-02-03 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第9号

又その他、その当時上海地区におりましたところの人達の言を聞いてもそうしたことははつきりしておる。で、この点については、華中方面から引揚げた三十数万の引揚者の問題でありまして、中にはこの三十三万円、総額のものを作るということに対しましては、各員が借金をしたり敗戰直後血の出るような思いをして、そうしてまとめ上げた金なんであります。

淺岡信夫

1948-02-20 第2回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第4号

ごく最近は上海地区抑留者状況を報告していただいております。政府といたしましては、この報告その他引揚者関係者からの希望の開陳を受けまして、これを参酌して南方、中國方面に向けて慰問品発送を行いまして、栄養方面における不足を少しでも補つて差上げたいと努力をしております。

小島太作

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